【第10話】ダストタウンブルース(メキシコ)
アメリカを離れる直前、メキシコを訪れた。
ロスのダウンタウンからバスで4時間ばかり、ようやくメキシコの国境にたどり着いた。
今回のテーマはダストタウンブルースである。ダウンタウンブルースでは無い。
なぜダストタウンなのかというと、私が訪れたメキシコのティファナはゴミの街であったのだ。
写真でおわかりになるでしょうか?
ちょっとした土手のところに家が建ってて、その周辺は生活ゴミが捨て放題なのである。
綺麗に区画され、清掃の行き届いたアメリカの都市から、ちょっと離れたメキシコの街の景色は、まさしく異国・異文化であった。
この写真のアパートはまだ恵まれた人たちが生活しているのだと言う。
もっと山手に住んでる人たちは、水道も電気も無い生活らしい。。。
道路では車が信号待ちするたびに、新聞やミルクや絨毯を売る人たちが近寄ってくる。
かつて、旅したマレーシアなどよりもっと貧しい生活の国である。そう思った。
ショックだった。メキシコはもっと陽気で明るい街だと思っていたのである。
ちょうど私が小学校にはいった当時(昭和40年頃)の生活水準では無いのだろうか?
まだ、こんな国が存在するのだ!
私たちは恵まれている。
電車の中で脳天気に携帯TELでメールをやりとりする学生たち、自動販売機でジュースもビールも買える環境、
使い捨てのファッション、垂れ流す音楽業界、働かなくても生きていける平和な国。。。
彼らは中学校を出て、家族のために働く。
工場で、出来上がった製品をダンボール箱に入れる単純作業を8時間繰り返し、週給1万円である。
親たちは働き場所が無いため街頭で観光客相手に日銭を稼ぐ。
すべては金である。交通違反も金を渡せば見逃してくれる。
わざとケチをつけられ警察に突き出され、机の下から100$渡せば釈放される。
そういう事が日常茶飯事らしい。
この国では将来の希望なんて無いのかもしれない。
その日一日をどう過ごしていくかで精一杯なのである。
考えさせられた。考えざるを得なかった。
今もなお心のなかに、メキシコ・ティファナの町が大きく存在している。
そして、今後も私の心から消えることは無いだろう。