vol 10. 滋賀作詞クラブで学んだこと(その2)
1994年の落選のあと、「作曲とは、何であろうか? ちまたの歌謡曲やポピュラーと呼ばれる日本音楽、あるいは演歌、皆どこか似た物では無いか?他人に気に入られる曲とは何だろうか?」そんな自問自答をした。
滋賀作詞クラブ「新しい近江の歌」の応募にお誘い下さった北村さんも「なぜ入選しなかったのか、合点がいきません。審査員のかたにお伺いしたら、曲に抑揚がないとの事でした。いい曲なのに、すみません。これに懲りず又応募してくださいますように。」という意味合いの励ましの手紙をいただいた。
曲に抑揚がない、こんな抽象的な批評があるだろうか?これはいったいどういう事なのか?
結局、何の結論もだせないまま、1995年になった。
毎年初夏に「新しい近江の歌・作曲募集号」が発行される。この年も6月に発行され、自宅に郵送されてきた。
10編ある詞をチラチラ読んだが、そのまま放っておいた。締め切りは9月末日。応募どうしようか?。。。
9月になって、やっと作曲にとりかかった。選んだ詞は「青い恋人(北村敦子詞)」
応募には、譜面と曲を録音したカセットテープがいる。自慢じゃないが、作曲をはじめた中学3年生からこの方20年ちょっと、譜面など書いたことはない。去年もなんとか2日がかりで譜面にしたが、これが一番大変な作業である。
とにもかくにも、詞を半日間読み返し、作詞者は何を言いたいのか?どこを一番表現したいのだろう?と考えた。
そして、夕方からの2時間で曲を書き上げた。こんなので「抑揚がある曲」になったのかなぁ?
とりあえず、譜面にして、1週間後に録音にとりかかった。バンド離散の頃だから、メンバーの皆に手伝ってもらうことはできない。一人でギターを重ね、一人でボーカルを入れた。
テープができあがり、譜面と一緒に応募した。
10月にはいり審査結果の通知が届いた。なんと「特選」であった。「エーッ!!」びっくりである。
11月の表彰に出向いた私は又もや驚いた。特選と入選5名の計6名が表彰されるわけであるが、応募している方々の中には「懸賞で生活している」人達が居たからである。
そんな人達に混じって、私が特選?
去年の落選、今年の特選。いったい何がどうなってるのか?
そんなこんなの出来事が、やっと「そうだったのか!」と、わかるようになるまであと2年を費やす事になる。
(以下「その3」に続く。。。)