vol 11. 滋賀作詞クラブで学んだこと(その3)
1995年(第5回)「青い恋人(北村敦子詞)」の特選に始まり、その後
1996年(第6回)「びわ湖の春(北村敦子詞)」が、逢美路賞。
1997年(第7回)「湖風の恋(安見みち子詞)」が、朝日新聞社賞。
1998年(第8回)「なぎさに立てば(北村敦子詞)」がNHK大津放送局賞。
と、4年連続の入選を果たした。
「その2」で
やっと「そうだったのか!」と、わかるようになるまであと2年を費やす事になる。
というのは、第7回の入賞曲「湖風の恋」の作曲経験が決め手になったのでした。
1995年の初めての入賞以来、毎年2〜3曲、応募する事にしている。
1997年(第7回)も3曲応募したのだが、
北村さん作詞の「水ものがたり」がイチオシ、竹内さん作詞の「愛ことば」が2番手、
どちらかが入選するだろう。って自信満々で応募する事にした。
この年は、ちょっと時間に余裕があったので、応募間近になって、詩集を読み返していた。
ひょんな事から、安見さん作詞の「湖風の恋」を見つけ「これってブルースやん!」って感動し、
30分で曲つけて、「おまけ」のつもりで先の2曲と一緒に応募した。
この年から、BassのKintaが戻ってきたので、アレンジと演奏と録音を手伝ってもらっていた。
3曲のサウンドMIXが完成して、音を聞いてみると、3曲のうちで「湖風の恋」が一番自分のお気に入りに
なってしもた。(もちろん、KintaのDsアレンジ、心打つBassの音も大きく寄与している。)
この時Kintaに「湖風の恋」が一番ええなぁ。ってコメントしてたのを覚えている。
でも、まるでブルース。こんなん「滋賀作詞クラブ」専属の審査委員方々にウケルわけない。
ま、「おまけ」やから、ええか!
……そんなこんなで応募し、審査結果が送られて来た時、正直びっくりした。
「おまけの曲」が、自信満々の2曲を押し切って入選してしまったのだ。。。「んッ?」
「曲に抑揚が無い」って言われて落選し、「この詞は何が表現したいのか?」って考えて特選をもらい、
「おまけ」で作った曲が、自信満々の曲を押し切って入選。。。。!?
皆さん、どう思われますか?
私は、この一連の出来事で作曲とは何であるか?音楽表現とはどうあるべきなのか?がわかったような気がしました。
そして、1999年、第9回の応募曲「二〇五〇年びわ湖(北村敦子詞)」で史上初の2度目の特選を果たすことになったのです。
さて、作曲の極意の何がわかったのか?
その答えは、次回のお楽しみ。
(以下「その4」に続く。。。)
それにしても、長編続きモノになってしまった。すみません。