vol 12. 滋賀作詞クラブで学んだこと(その4)
1999年の第9回「新しい近江の歌」は、ねらいどおり(?)の特選受賞となった。
作詞者である北村敦子さんの詞は、回を重ねるごとに「歌」にしやすいモノになっている。
本人は「思いつくままに作ってしまいました。」と謙虚におっしゃるが、北村さんの詞への附曲が年々増え、他の方を引き離しダントツであることからも、それは間違いのないところだと思っています。
で、逆の発想からすると、北村さんの詞でいい曲が発表できれば、特選も間違い無しという事になるのです。
この年の北村さんの詞はおもしろかった。「二〇五〇年びわ湖」というタイトルから、万博やオリンピックのテーマソングか?と思わせるのだが、なんとなんと、「50年後に果たせなかった恋を実らせましょう、あの世で。」というとんでもない(失礼)内容の詞だったのです。
「おい、おい。」と思うでしょ。
でも、よく詞を読むとおもしろい組み立てになってるのです。
で、発想と組み立てがいい(言い換えれば何が言いたいのかがよく伝わってくる)詞でした。
そして、これを歌にすると何とも言えぬ情感がでてくるのです。
これは、いい曲になった!特選の自信あり!です。
その自信は何?どういうこと?
滋賀作詞クラブで学んだ答えはここにありました。
ひとつは、詞の持つ(文章とか言葉の持つと言ってもよい)当たり前の描写かも知れないが、それを自分の言葉で口に出して(あるいは自信や情熱をもって)言える大切さ。
そして、そのように勇気を出して発言された事に反応できる感受性を身につけられたこと。
又もうひとつは、そうして口から出た言葉のニュアンスを、どのような音楽にすれば、一番うまく相手に伝わるのだろう?と考えられる力がついた事。(詞との真剣勝負)
この二つが「歌」を、「音楽」を、表現するうえで、一番大切だと気づいたのです。
万人に受け入れられなくてもよい。歌を歌った事で、音楽を演奏した事で、そこにいる100人の内の一人でもいい、私が言いたいこと、表現したいことを理解いただき感動してもらえれば幸せである。
滋賀作詞クラブの方々には、こんな開き直りとも言える境地を教えてもらいました。
やはり、下心がある音楽は受け入れられないし、媚を売った音楽は飽きられてしまいます。
一番大切なのは、「何が言いたいのか」を分かってもらえる努力をする事なのです。
それさえあれば、自分の作った曲に自信が持てる。あいかわらずのワンパターンやな、って言われてもそれを支持する人達がでてくる!
それは、「あぁ、こいつはこんな事が言いたいんや」って伝わっているからこそだと思うのです。
北村さんの他、滋賀作詞クラブの竹内さんや安見さんも、すごくこっちに伝わってくるいい詞を発表されています。
ここ3年ほど、この三名の方の詞に曲をつけさてもらってます。
安見さんが発表された詩集「風の誘い」の中には、
この歳になって「胸がキュン」とさせられるいい詞が掲載されています。
「せっかちに 愛なんか 問いつめた せいかしら」
(詞「無言の返事」より)
竹内さんの詩集「仙人蘭」は、命の尊さ、人間の業、エロチシズムがすばらしくうまく表現されている詞が沢山あります。
「いま ときめいて 抱きしめたい女神は 丁度いい距離にいるので美しい」(詞「距離」より)
そんなこんなで、今年2000年は「新しい近江の歌」も第10回となり、
噂では今年が「新しい近江の歌募集」最後の年になるだろうとの事。
最終回を記念して、今年は応募3曲を全てギター1本で録音しました。
シンプルに詞の持つ意味を表現したかったのです。
先週、テープと譜面を事務局に送付した。
応募曲は、「岸辺にて」(北村敦子詞) 「湖北水すまし」(竹内まさき詞) 「みずうみの情景」(安見みちこ詞)の3曲。
果たして、審査結果はいかに?(発表は10月下旬です)
(後記)
えっ?今年の応募曲、何の曲に自信あるのかって?それは秘密。。。
えっ?そんなもったいつけるって事は自信が無い証拠だってか?
じゃぁ、ヒントあげましょう。
「yo!のコーナー探してごらん」
それでは、永らくのおつきあいありがとう。
(この連載は終了)
(後日談)
この年の特選は、「みずうみの情景」(安見みちこ詞)に決定しました。3度目の特選です。
そして、この年(2000年)第10回を持って、「新しい近江の歌」募集は終了しました。 (2001.12.1.)