vol 19.'71フォークジャンボリー(その1)
さて、私の音楽生活の中で自慢すべき事は、あの伝説になったフォークジャンボリーを体験できた事でしょうか…。
'71フォークジャンボリーは、第3回目。(つまり1969年が1回目)
第3回目の参加入場者は、2万人とも3万人とも言われている。。。
この第3回'71フォークジャンボリーが私にとって初めての参加であり、そして残念ながら、この第3回を持ってフォークジャンボリーは終わってしまったのです。
高校一年生の夏(中学生の頃の坊主頭にやっと髪が伸びはじめた頃)、友人に誘われて岐阜中津川にあるキャンプ場に出向いた。
「ギターを弾いてフォークソングやるんだったらこのイベントに行かなくっちゃ」なんて言う誘いにのって、知り合いのお兄ちゃんから借りたテントをかつぎ、電車に揺られ、バスに揺られ、中津川の山の中、椛の湖の会場に向ったのである。
知り合って間もないこの友人のおかげで、その後の日本フォークの原点となったイベントを体験できた事は、今思うとすごくありがたかった。。。
フォークソングに夢中になったのは、中学3年生の頃です。フォーククルセーダース解散コンサートと岡林信康のLPレコードを買って、何度も聴いていた。
小学3年生から加山雄三と坂本九と西郷輝彦と美樹克彦と美空ひばりが私のヒーローだったのだが、この2枚のアルバムから完全にアングラフォークシンガーが私の心の中で大きくなっていったのであった。
ちょうどこの頃「五つの赤い風船」のラジオ番組を聞き、私は加速的にフォークフリークになっていってしまったのである。
関西という風土のせいもあったのでしょう。その頃新宿駅西口のシングアウトブームとは別の雰囲気で進行していた関西フォークの渦に巻き込まれてしまったのです。
そんな折、この'71フォークジャンボリーに誘われ、断る理由は見当たりません。
2泊3日のイベントです。この2ケ月前から日比谷野音やらで、前夜祭コンサートが開かれ深夜のTV番組で放映されていました。そこに出演しているシンガー達の唄を食い入るように聴き(その頃ビデオデッキなんて無かった。ひたすら食い入って聴くしか無かった)、いよいよ本番の日を迎えたのであります。
出演者は右の通り。(読めるでしょうか?)
なんと言っても岡林がトップスターです。今から思うとこの出演者の名前順がそのままランクづけだったような気がします。
演奏会場はメインステージのほか、サブステージ、黒テントなどがあり、それぞれおもしろいステージが展開されていました。
残念なことにまだ少年だった私は黒テント会場には怖くて入場しませんでした。(笑)大人の雰囲気満点のアングラ劇なども上演されていたみたいで…。しかし、はっぴぃえんどのステージはこの会場でしか見られなかったようです。今から考えるともったいなかった。。。
さて、私のお目当てステージは「岡林信康」「加川良」「五つの赤い風船」「高田渡」「遠藤賢司」の五つでした。
夕方からメインステージ会場客席の中央からやや前よりに座り込み(1万人も居ただろうか?忘れた!)、50m位先のステージを食い入るように(よぉ食い入るなぁ)見ていた。
五つの赤い風船は、西岡さんが参加していないようで(なんか理由ありで来なかったようである)フー子ちゃんとトンだけで2〜3曲やっただけ。非常に落胆した覚えがある。(最近になって知ったのだが、この頃から西岡さんとこの二人はうまくいってなかったようである。)
遠藤賢司の激しいステージ、ギターをかき鳴らしハモニカを吹き鳴らし、野良猫みたいな声で歌う。
高田渡は武蔵野たんぽぽ団(シバやコータローなどすごいメンバーのバックバンド)を引き連れ楽しいステージを届けてくれた。
加川良は、このイベントで一躍大スターになった。あのやさしくうねるような唄いかたで会場の皆を魅了した。「伝道」って曲を大観衆と合唱したんだ!
夜が更け、登場した三上寛にはびっくりした。「しょんべんだらけのみずうみ」(タイトル合ってるかな?)なんて、すごい唄をドスの聞いた声で歌うもんだから、少年の私はビビッてしまった。(笑)
以下、その2につづく…
おまけ
加川良のサインです。
一緒に写ってる写真もあるのですが、私、坊主頭で恥ずかしいので未公開(爆)
暑中お見舞い申し上げます なんていうサイン、洒落ているでしょ。
このサインで、大ファンになってしまった。
マーチンのD28を抱えながら、サインしてくれたんです。
にこやかな笑顔が素敵で、いい人に思えたなぁ。
でもこの頃の加川良さんて、まだ23〜4歳だったんだよな。
その2では、もっといろんな人のサインを一挙公開する予定です!