vol 39.春一番コンサート(その3)

 

 ■ちょっと照れくさいけど 明日も会えるんだから

 

 その2で記載しましたが、MOGAN’S BARの演奏中に客席に見かけた顔は「告井延隆」さんであった。

 

「あれっ、ひょっとして…」

花粉症なのかマスクで顔の半分が隠れているが、あのヘアスタイルは告井さんに違いない!(笑)

 

実は、ミニセンチ(センチメンタル・シティ・ロマンスの縮小版?)が出演なのは知っていたが、出演者リストの中に告井延隆の名前が無かったのである。センチは告井延隆がいないと私的にはセンチでないのである。

 

 なぜかって?尋ねられると困るのだが、告井さんの若かりし頃の風貌がこれ又もう少し若い私と少し似ており異常な親近感があったからかも知れない。(笑)

 

 

(写真はまだセンチと出会う前の1973年当時の私と友人達)

 

(レコードジャケットはセンチのファーストアルバム。顔半分の絵は告井さんの似顔絵。黄色い車はお馴染センチのツァートラック)

 

 

 

 

 

 

 

話が横道にそれてしまいました。本題に戻します。

13:00を過ぎたあたり、あべちゃんが「次のバンドは風太に紹介してもらいましょう」って風太の紹介で出てきたのがセンチメンタル・シティ・ロマンス

(確か風太はセンチのロードマネージャーしてたんですよね。)

 

そして…    出たーっ!

 

中野督夫(ギター)、細井豊(ピアノ)、瀬川信二(ベース・サポートメンバー)、パーカス(名前わからん、ごめん)の公表メンバーに、もう一人、告井延隆(ギター)の姿が!

 

 

 

これだけで嬉しかったのだが、なんと1曲目がアコースティックバージョンの「うちわもめ」。

 

もう、ぶっとんでしまいました。この曲、センチの中で一番好きな曲なのです。

 

’75の春一番に出演した直後、’75夏にデビューアルバム「センチメンタル・シティ・ロマンス」発売。

その1曲目に収録されている曲です。

 

「名古屋からええ感じのバンドがやってきてくれました。」って’75春一番に風太が紹介したあと初めて見たステージ。

ウエストコーストサウンドに日本語をのせた見事なセンスは、あの「はっぴぃえんど」の衝撃に近いものがありました。

 

あれから30年。アコースティックサウンドで演奏したこの日のセンチも衝撃的でした。

 

中野督夫のヴォーカルもアコースティックなので余計に甘く力強く感じられたし、主要メンバー3人の円熟あるプレイと唄がなんとも心地良かった。

 

 

 中野さんは、愛器J50を手にしていますが、告井さんは愛器J45ではなくヤマハ。(多分借り物。このあと出演した山本アナバンドの方のギターが同じだったので彼のギターを借りたんだと思う)。

 

察するに、急遽駆けつけた告井さんが参加してのこの日のパフォーマンスだったと思います。

近年は、NHKBSなんかで加藤登紀子のバックでギター弾いている告井延隆しか見てなかったので、唄う告井を見られて何か得した気持ちになりました。

 

センチのステージが終わったあと、再度客席で告井さんを見かけたので、思い切って話しに行きました。

「よかったですよー」って言うと「そう?」ってとても嬉しそうに応えてくれました。

「まだセンチでやったりすることあるんですか?」って聞くと「うん、やってるよ。」って差し出したスケッチブックにサインしながら言ってくれた。

 

後日、Webでセンチを検索してみると、ファンサイトしかなかったのが、いつのまにか公式サイトが出来ていて、センチ30周年記念ライブのDVDとアルバムが発売されているではないか!

 

これはセンチの皆さん失礼!まだ解散してなかったんですね。(笑)

早速、DVDを発注しました。近日届くと思いますが楽しみです。

 

そいでもって、おまけにWebで仕入れた情報をもうひとつ。

 

95年に起こったオウム信者を装い全日空機をハイジャックした函館ハイジャック事件の歳、犯人の目を盗んで機内トイレから警察に電話していたのが、その機に乗り合わせていた加藤登紀子ツアー一行のひとり、センチのリーダーの告井であった。当時、私はテレビの報道番組で突然、センチのリーダーの顔アップが出てきてびっくりした記憶がある。高田光男氏のサイトより引用(campingcar-guide.com WEBMASTER

 

あぁ、その3はセンチの話で終わってしもた。(笑)

それにしてもセンチメンタル・シティ・ロマンスってバンド名は、いかすねぇ。と言いながらその4に続く。

 

 

 

 VOL40.

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