vol 47.祝春一番コンサート(その5)
2006年5月6日(Ver2)
■ゆったりと、音とともに時間が過ぎる
前日は満員御礼でしたが、この日は少し空席もあった。
しかし、気持ちいい音楽と唄はこの日も同じ。
客席にはたくさんの出演者の方が皆と同じように唄に耳を傾けていた。
■2005年4月16日午前一時二十二分
五番手に登場したのは中川五郎。
そしてサイドでギターを弾くのはなんと中川イサト!
「中川家でーす」
ええ紹介やなぁ、笑わしてもろた。
初っぱなの曲は、友人「高田渡」の最後を唄った「2005年4月16日」。
淡々とその状況を唄う五郎さん。
眠った顔はまるでギリシャ神話の哲学者のよう、と唄う内容には深い友情と、愛し愛された渡さんの人柄が表現され、聴いてて思わずグッときた。
「いやぁ、泣いてしまいましたよ。(渡さんの逝去から)1年経って、やっと唄えるようになったんですね」
と五郎さんに言うと、「うん、あれ去年の10月に作ったの、渡の生誕会の時に唄った。今日はまちがっちゃったけどさー」と。
曲の前半でコード進行を間違ったことだと思われますが、そんな些細なミスよりもこの曲をこの春一番で聴けたことに感動した。
後半では、イサトさんも立ち上がり、なんとも元気でパワフルなステージでした。
「昔、憧れて井の頭公園にも行ったんですよ。」と言うと「そうなのー」と嬉しそうな顔で返事していただきました。
いつまでも元気な声で唄い続けていただきたいなぁ。
■むちゃくちゃでっせ、むちゃでっせ
六番手、アチャコ一座。
アチャ孫やったかいな?彼のシニカルで風刺的な唄、好きです。
「このままでは、日本はアメリカのいうがままになって、戦争をはじめてしまう。僕らは縁を切って日本はそんな国にはならいんやと決断せなあかん。」(大意)
という演説には客席からも拍手が。
彼の唄は「演歌」やと思いました。
(政治を風刺する歌で、演説に関する取締りが厳しくなった19世紀末に、演説の代わりに歌を歌うようになったのが演歌という名称のはじまり)
ふざけた衣装の中に秘めた反骨精神は、祖父花菱アチャコから引き継がれたものなのだろう。